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イヤシロチとは心を落ち着かせ前向きなイメージを湧き出す場所であり快適で居心地の良い空間のことです。埋炭したり置き炭をすると不思議に色々なシンクロニシティ意味ある偶然の一致が起きたりします。また、イヤシロチ・ジオパシック・ストレスの改善と施工、見積もりもしていますのでお気軽に御問い合わせ下さい。また、放射能の対策にもお役に立つことが出来るかと思います。 もう少しご説明しますね。 「竹」は旺盛な繁殖力と驚異的な成長力を持ち、施肥や手入れの 必要もなく4〜5年で成竹になります。 竹は、進行しつつある森林破壊にストップをかけ、 資源の明日を支える資材として、注目を浴びております。 今回提案する、「竹炭、竹酢液によるイヤシロチ・敷炭、 炭素埋設−健康住宅」では、そんな竹のもつ、吸湿・通気・吸着性が もたらす、浄化・消臭・免疫作用に着目し、2つの施工方法 イヤシロチ、炭素埋設...おもに地場の改良、心身の健康向上に 大別・言及していきたいと思います。 メリット(効果)と施工手順をまとめてみました。 みなさんのご意見・ご要望をもとに、より一層の「健康住宅」の 向上に努めて参ります。 炭素埋設1・土壌改良 有用微生物を増殖させることにより土壌の透水性・ 保湿性を強化する。 2・イオン交換 施工方法により健康に良いといわれるマイナスイオンを 放出する作用があり、空気の清浄化はもとより、有害微生物の 発生を制御し、有用微生物の発生を助長させる。 3・電磁波障害の緩和 電気過敏症が生体的に防御される。 4・風水学問題点の克服 本人の意思に基づき、自由な設計が可能になる。 5・ジオパシック・ストレスの改善・・・ネガティブな地下水脈・鉱脈などの改善と プラン・施工を致します。 イヤシロチ(炭素埋設・敷炭)の理論と根拠も良いのですが、 実績を伴っている所が良いと思います。  感謝 16/02/26 08:35 / イヤシロチ・炭素埋設(埋炭)・床下の敷く炭・お部屋に置く炭

イヤシロチと言う言葉が、マスコミで話題にならない訳。
記事へのリンク

みなさん、おはようございます。

今回のテーマは、

イヤシロチと言う言葉が、マスコミで話題にならない訳。

みなさん、イヤシロチの語源は、どこから来たか知って

いますか。

ほとんどの方が、知らないと思います。

そして、なぜイヤシロチがマスコミなどの話題に

ならないかを、私なりに、考察してみました。

それは、楢崎皐月氏(ならざき・さつき)別資料では、

ならさき こうげつと読んでいます。

楢崎皐月氏は、カタカムナと呼ばれる、太古より

日本に伝わる古文書の解読から、このイヤシロチと

言う言葉が出て来ました。

イヤシロチは、楢崎皐月氏が、ケガレ地、イヤシロ地、

という名前で土地の、良し悪しを研究した、静電三法に

記載されています。

この静電三法は、楢崎皐月氏が、終戦後、ある製薬会社の

社長と知り合い、戦後の食料難を乗り切る為に野菜の

促成栽培に関する実験を彼から依頼され、全国の土壌などの

研究に入り、大地電流の測定を行った結果、地電流の流れる

方向によって決まる土地の良し悪しを発見、致しました。

そして、静電三法の理論のなか、イヤシロチと言う言葉が

誕生、致しました。

この静電三法は、カタカムナと呼ばれる、太古より

日本に伝わる智恵に由来します。

これは、旧石器時代に日本に存在したカタカ ムナ人が、

直感体系に よって得た智恵をまとめ、カタカムナ文献

として今日に 伝えたものです。

ここからが、本題です。

ウィキペディアからの転載です。

楢崎皐月氏は、1899年5月9日、山口県東萩の母方の実家で

誕生しました。

その後、北海道札幌市で育ち、母方の祖父・楢崎寛直は

旧長州藩士で、初代長野県令を務めた。

実父・丹野軍治は旧伊達藩士で、屯田兵として北海道の

開拓に従事した。後に楢崎家を継ぎ、中学校卒業後上京。

1917年、日本電子工業・電気学校で学んだ。卒業後、

20代で国産の特殊絶縁油を開発。日本石油と契約を結び、

フリーランスの技術者として活躍。

その後石原莞爾の助言を受け、福島県相馬郡に亜鉛から

人造石油をつくるプラント工場を設立した。

1943年、東條英機の要請により、満州吉林省河北の

陸軍製鉄技術試験場の所長として赴任した。

陸軍の製鉄所の建設地決定の為に大地電気分布の

構造を実測した。

1944年、満州、吉林で盧有三(90歳位)老子教老師と会い、

古伝(日本の超古代文明:八鏡の文字を持ったアシア族)に

ついて聞かされた。その時、老師に伝わっている鉄器の

熱伝導のよさに驚いた(木の葉で湯が沸いた)。

1945年8月13日、衆議院議員で星製薬社長の星一の援助で、

星製薬内に重畳波研究所を置いた。

旧海軍技術研究所の関係者や技術者と「化成会」を

創設した。

「重畳波研究所」の研究テーマは、

「日本の新しい農業技術の開発」だった。

1948年、全国の大地電位の分布実測調査

(3年間で、17,000ヶ所を調査)を始めた。

1949年、1月から3月頃、兵庫県六甲山山系の

金鳥山(俗称:狐塚付近)の生活中に

平十字(ひらとうじ、カタカムナ神社の宮司)と出会った。

平十字の所持していた巻物のカタカムナ文字を

大学ノートに書き写した。

1950年、「植物波農法」の指導を始めた。

1957年、全国静電研究連合会を発足した。

1966年、「日本の第一次文明期の特徴」で、昭和19年〜24年

に体験した先住古代文明(カタカムナ)の知識について

語り始めた。昭和43年(1968)、「古事記」等の古文書の

読解を始めた。 

1969年12月4日、弟子になる宇野多美恵と出会う。

昭和45年1970年6月11日、企画された単位ごとの「

天然会」(全8部会)を発足した。

宇野は、婦人部会(宇野天然会)で『相似象』を発刊

(宇野天然会、第二号の発刊を機に「相似象学会」と

改称)した。相似象学会誌は、全26巻発行された。

1974年7月に『相似象』第7号を発行した。

同年7月31日、75歳で死去した。

以上ですが、楢崎皐月氏は、不思議な体験をして、

カタカムナ文書を六甲山系の金鳥山で発見しました。

その古文書は、父親が「カタカムナ神社の宮司」で

あったという「平十字」と名乗る猟師から、

見せられました。

そこに書かれていたのは円と直線で作られた幾何学的な

文字でした、そして、その文字が、カタカムナ文字でした。

その古文書を晩年カタカムナの研究に没頭したと

言われ、解読に成功しました。

この不思議な体験と、カタカムナとの関連のなか、

世の中の、歴史と時代背景のなかで、マスコミが、

紹介できないのではと私は考えます。

マスコミは、パワースポットでは反応しますが、

イヤシロチでは、反応しずらい一面もあるかと思います。

しかし、このイヤシロチを、船井幸雄先生の本が

きっかけで、イヤシロチが全国に広がったのも事実です。

photo

船井先生は、有名な、経営コンサルタントで

船井総合研究所の創業者です。

船井幸雄先生の経歴は、

船井氏は1956年に京都大学農学部の農林経済学科を卒業し

、日本マネジメント協会を経て、1970年

日本マーケティングセンターを設立。

1985年に船井総合研究所に社名変更して、1988年には

経営コンサルタント業界で初となる上場を果す。

2003年に役員を退任してからは、船井総合研究所、船井財産

コンサルタンツ、本物研究所、船井メディアなどで

最高顧問をつとめていました。

出版した著書の数は400冊を超え、企業経営者でもファンを

公言する人が多い。

船井先生は、一昨年、81歳で他界しました。

みなさん、全ては、必然です。

私は、なんでもアリとして、毎日を楽しんでいます。

ありがとうございます。感謝

[更新日付:2016/02/26 08:35:27]