みなさん、おはようございます。
私のチョット長い朝の当たり前の、つぶやきです。
今回のテーマは、
慣習と道徳的価値観について。
昨日、家内と愛知県豊田市小渡で開催している、
小渡(おど)の夢かけ、風鈴祭りに行きました。
http://www.kankou-asahi.toyota.aichi.jp/?cat=12
その時、気になるお寺があり、風鈴寺 増福寺に
立ち寄ると、お寺の世話役の方から、どうぞと
声を掛けられ一年に一度、開かれる百万遍念珠に
参加させて頂きました。
このお寺は、風鈴で有名なお寺で、風鈴に夢を掛ける、
願いを掛ける、ことができるお寺です。
しかも、このお寺では、夏の土用から、お盆まで、
十王信仰の、掛け軸を飾ってあります。
この掛け軸の説明を、ご住職から説明を聞いた時、
私は、絵本 地獄、絵本 極楽を思い出し、住職に絵本の
お話しをすると、住職とお話しが、盛り上がり、現代の
道徳感についても、お話しすることができました。
とても楽しくもあり、嬉しい一日でした。
その、お話しのテーマで、今から、少しお話し致します。
みなさん、慣習と道徳的価値観を疑ってみると色々なことが
解って来ます。
みなさん、道徳とは、何か解りますか。
道徳の定義は
道徳とは、善悪をわきまえて正しい行為をなすために、
守り従わねばならない規範の総体です。
当たり前のことですね。
それでは、慣習の定義は、
ある社会で歴史的に成立・発達し、一般に認められている、
伝統的な行動様式、ある社会一般に通ずるならわしです。
しかし、現代は、この慣習と、道徳的価値観を考えてみると、
自分の意にそぐわないことがあれば、自分の思考で、
慣習を創り変え、道徳感をも創り変えたり致します。
人を咎めよう、人を変えて見ようと、言う思考と意識が、
自分で創りあげた慣習と道徳的価値観を強め、
人を傷つけてしまうことがあります。
例えば
そんなことをするのは良くない、など決め付けた、慣習と
道徳感で、いけないこと、を知らず知らずに
探し回っている癖の方もなかにはいます。
そして、自分の抱いている、いけないことを、
知らず知らずに人を裁き、なかには、自分も責めたり、
咎めたりする方もなかにはいます。
私の考え方では、大局な目で観ると、
何事であれ、人を裁いたり、咎めたりする
必要などないと思います。
ただ、その人が、自分で引き寄せた、ことを、
体験して学んでいるだけです。
人は様々な人の背中を見て成長しています。
この様々な背中は、世の中の情報であり、その情報に
基づく、慣習と道徳とも言えます。
この慣習と道徳が、知らず知らずに、自分の思考と意識を
変えている可能性もあります。
みなさん、素直な心、優しい心、思いやりのある心を
育みましょう。
私の考え方でした。
ありがとうございます。 感謝