みなさん、こんにちは。
私のチョット長い、つぶやきです。
今回のテーマは
因果と円相(えんそう)
先日のブログで円相について書きましたが、その続きです。
先日の文面より
月の流れと共に生きることは自然の流れと共に生きるている
ことだと私は思っています。
自然の流れに、逆らうことなく、楽しむことです。
人は自我を持ち、自然に逆らい、ネガティブな意識の
スパイラルに入っている方も多々います。
それは、堂々巡りのなかにいる円の線上の繰り返しです。
禅で言う円相(えんそう)は、禅における書画のひとつで、
図形の丸(円形)を一筆で描いたものです。
一円相(いちえんそう)」「円相図(えんそうず)」などと
も呼ばれています。
悟りや真理、仏性、宇宙全体などを円形で象徴的に表現した
ものとされていますが、その解釈は見る人に任されるます。
また、円窓と書いて「己の心をうつす窓」という意味で
用いられることもあります。Wikipediaより引用
私の考えでは、円形の中心に点を打ち、その点を縁の中心
から眺めると今の自分の位置が確認できます。
大局な目で観る、客観視とも言えます。
私のもう一つの考えでは、円相ではなく、螺旋状に○を創る
人生の流かも知れません。
気が付けば、その円から脱して、また円を創る、繰り返し
かも知れません。
円相の淵では原因と結果が繰り返し起きています。
しかし、現代はチョット違います。
因果の因果律を良い方向に向かわせるには、今の思考の
持ち方と行動表現により、円相は別の円相にシフトします。
円相の外にまた、円相を創り、また因果の流れを創ります。
例えば、蚊取り線香に火をつけると、中心に向かって
蚊取り線香は向かいます、そして中心を灰にして終ります。
また、別の考えでは今の自分を蚊取り線香のセンターとして
火をつけると、蚊取り線香は外に向かって燃焼して
行きます、そして燃え尽きたところで終わります。
この流れも私は良いと思います。
世の中の流れの性にしたり、人の性にしたり、出来事の
性にしたり、することを止め、全ては必然の流れと思い、
全てを自分に向かって引き受けたところで、幸せは来ます。
ありがとうございます。感謝