みなさん、おはようございます。
今日のテーマは、
府八幡宮様の神様開運施工です。
今朝は、早くから、事務所を出て、磐田市中泉にある、
府八幡宮様で、イヤシロチ(炭素埋設)の施工です。
施工に伴い、今朝は九時から、神主様の、施工の
お祓いがあり、それからのスタートです。
私は昨日、府八幡宮様の、開運献酒と、開運神籬の用意を
致しました。
今回の府八幡宮様のイヤシロチ施工は神社開運の施工です。
神社の鎮座されている場所に、穴を掘り、神様の開運を
することです。
あるがまま、ありのままに、今日は一日、楽しんで来ます。
神様の開運、楽しいですよ。
お話しは変わり、
今回のイヤシロチ施工費用は、府八幡宮様の
奉賛会の、一会員様からの寄進です。
府八幡宮様の紹介です。
http://www.fu-hachimangu.jp/info/info/about/
府八幡宮は、天平年間(729〜748年)に
遠江国司(現在の知事にあたる)であった天武天皇の
曽孫桜井王(さくらいおう)が、遠江国府の守護として
赴任された時、遠江国内がよく治まるようにと
府内に奉られたのが、始まりです。
遠江国府は、最初に現在の二之宮・御殿地区に
勧請(かんじょう)され、その後、見附地区に
移転されるまでの間、一時、府八幡宮内に
置かれていた、と伝えられています。
寛永12年(1635年)に建立された楼門(ろうもん)は
静岡県の文化財に、中門・本殿・拝殿および 幣殿は
市の文化財に指定されています。
境内の建物の多くは、江戸時代に建造されたものです。
<国 府>こくふ
国府は、日本の奈良時代から平安時代に、令制国の
国司が政務を執る施設が置かれた場所や都市を指す。
国衙ともいいます。
<国 司>こくし
国司は、古代から中世の日本で地方行政単位である国の
行政官として中央から派遣された官吏で四等官である、
守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)等を
指す。
郡の官吏(郡司)は在地の有力者、いわゆる旧豪族からの
任命だったので、中央からの支配のかなめは国司に
ありました。
国司は国衙において政務に当たり、祭祀・行政・司法・軍事
のすべてを司り、管内では絶大な権限を持っていました。
由緒
奈良時代の聖武天皇(在位724年〜749年)のころ、
「桜井王」という皇子(聖武天皇の曾孫といわれている)
が、遠江国の国司となって国府(国の役所)に
着任しました。
王は、地域全体の平安を願って「府八幡宮」を
建立しました。
国府のあるところの八幡宮であるから、
「国府八幡宮」ともいわれてきましたが、今は
「府八幡宮」が正式名称です。
地元の人たちは、親しさをこめて“八幡さま”あるいは“
中泉の八幡さま”とも呼んでいます
祭神
本殿に祭られている神様(祭神)は、つぎの3柱です。
誉田別命 (ほんだわけのみこと。応仁天皇「主祭神」)
足仲彦命 (たらしなかひこのみこと。仲衷天皇「父親」)
気長足姫命(おきながたらしひめのみこと。「母親」)
本殿
最初に建立されたのは奈良時代ですが、何度も
作り変えられ、現在のものは、
江戸時代初期(元和3年=1617年)に再建されました。
再建をした願主は、2代将軍、徳川秀忠の娘の
和子(まさこ)で、後水尾天皇の皇后となって、
東福門院と呼ばれた方です。
徳川家康の孫娘によって再建されたのは、本社の
神主であった秋鹿(あいか)氏が、家康と並々ならぬ
深い関係があったからです。
桜井王
聖武天皇が命じた国分寺が磐田にできたことと、本社が
隣りあって創建されたことは、創建者の桜井王と
聖武天皇のお二人が遠く離れていても、
深く心がつながっていたことを感じます。
それを物語る贈答歌が「万葉集」巻8-16 14・5に
載っています。
その歌碑が本社の境内南東に建っています。
贈答歌は次の歌です。
遠江守桜井王の天皇に奉れる歌1首
九月(ながつき)のその初雁の使にも思ふ心は
聞こえ来ぬかも
(九月の初雁の使いによって、私のお慕い申し上げる
気持ちは、天皇のお耳に届かないものだろうか)
天皇の賜へる報知(みこたへ)の御歌1首
大の浦のその長浜に寄する波ゆたけき君を思ふこのころ
(大の浦の長々とした海岸に寄せる波のように、
心ゆったりとおおどかな気持ちで、あなたのことを
考えているこのごろです)由緒
以上、府八幡宮(ふはちまんぐう)様のご説明でした。
イヤシロチの施工は、暦と月の流れを観ての施工です。
ありがとうございます。 感謝