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17/08/03 09:29 / 禅語、人が幸せに生きるために必要な基礎

禅語、諸行無常、死人と死者
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みなさん、おはようございます。

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今日は0時40分に、爽やかに目が覚めて、ブログを更新

致しました。

そして3時半に床の間の前で少し座って見ました。

その時、死人と死者のことがフット頭のなかで考ることに

なり、若い頃、座禅をしていた時のことを思い浮かべ、

私に向かって老師が諸行無常と言った言葉を思い出し、

考えて見ましたので、今回の私のチョット長い朝の、

つぶやきのテーマは、

禅語、諸行無常、死人と死者について書きます。

みなさん、人は誰でも死ぬまで生きます。

当たり前のことですが、この当たり前の、死ぬまで生きるは

人により、死ぬまで楽しく生きる、死ぬまで悩み苦しみ

苦労として生きるかを選択するのは自分です。

諸行無常の意味は簡単に言えば、

あるがまま、ありのままの流れです。

もう少し説明をするなら、

諸行・・・すべてのもの

無常・・とは常がないということで一瞬たりとも同じ

状態を留めることは出来ないということです。

諸行は無常なりなのです。

しかし、私は体験と経験のなかで言うと、人は何も起きて

いないネガティブな出来事を頭で考えているだけで、

何も代わり映えしないと言うことですが、ポジティブに

意識すれば、諸行は無常なりなのですので、良い方向に

向かいます。

意識は、無いようで、あるのです。

死体と死者の違いもあります、それは、死んで身体は

無くなりますが、そこには死者としての意識はあるのです。

これから、お盆に向かって時間は進んでいます、死者の

意識はお盆に帰って来ます。

理系の方は、お盆は、迷信の一つと考えている方もいるかと

思いますが、私の経験では、死者は、生きていないようで、

心のなかで生きているのです。

目に見えない世界も、あります。

私は諸行無常として考えると、どんなことも前向きに意識

して行けば、それは諸行無常のなかで人生の帳尻

(つじつま)を合わせてくれる運かと思います。

手を合せ、素直で正直な心を持って生きて行く姿は、必ず

人生の帳尻を合わせて行きます。

それは、祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、

諸行無常の響きありと平家物語の冒頭の一節として

広く知られた言葉ですが、盛者必衰(しょうじゃひっすい)

の理、驕(おごれる)者も久しからず、

猛(たけき)者もついには滅びぬと、滅びゆく姿の

はかなさの代名詞のように使われています。

また、日本人の美意識の代表とされるものに、

桜の花や紅葉、雪などがありますが、これらはすべて、

はかないから美しいのであり、そこにはこの仏教の

無常観が流れているといわれます。

この無常は往々にして私たちは一面だけでとらえがちなので

す。

それは、雪が溶けたり、紅葉や桜が散ったりといった、

滅びの場面でだけ、無常観をいだきやすいということです。

でも実は、これだけではないのです。

もっと咲いていてほしいのに、いずれ散ってしまうのは

もちろん無常です。

ところが、寒々とした木々の早春の枝先が、小さな蕾を結ぶ

のも無常。

蕾が少しずつふくらんでいくのも無常。

そして誇らしげに花開くのも無常。

全ては無常なのです。

人の生き方も、無常ですので、なにがあっても、それが

どうしたのです。

自分の生き方は、自分の意識でブレナイ心を持ち、楽しく

生きることも諸行無常の一つの意味です。

あるがまま、ありのままの流れを楽しむ諸行無常です。

みなさん、死ぬまで、諦めず、人生を楽しみましょう。

私の考え方でした。

ありがとうございます。感謝

[更新日付:2017/08/03 09:29:40]