みなさん、おはようございます。
みなさん、いつもご覧頂きありがとうございます。
つい最近、東京から私の大切なお客様がご来店しました。
そのお客様は吉田正記念オーケストラ終身音楽監督の
大沢可直 (おおさわ よしなお)先生が突然、お店に
秘書の方と御一緒にお店にご来店しました。
私は出かけていて先生から携帯電話に今、お店の前に
いるから待ってるよと電話がありお店に戻り、先生と
お話致しました。
先生は最近、本を出版して、もし良ければ読んでと
本をプレゼントしてくれました。
その本のタイトルは元気の出る提言です。
読むと、なるほとどと思いことが沢山書いてありました。
私のイヤシロチプランで先生のオーケストラの事務所と
吉田正先生の奥様のご自宅、大沢先生のご自宅にも、
床下とあちらこちらに置き炭が風水とダウジングで
方位出して設置してあります。
その結果、スタッフと先生も、元気だと言っていました。
嬉しいことです。
写真は先生の事務所です。
先生のプロフィールです。
1950年、東京下町に生まれ下谷、浅草で育つ。
桐朋学園、斉藤秀雄指揮教室にて高階正光氏に師事。
その後渡欧し、
ワルターレッグ氏(第二次大戦後、ナチスの疑いにより
不遇であった。カラヤンのためレコーディングEMIに
残したことで有名。)に師事したため、
カラヤンの音楽観を大きく受け継ぐことができた。
1974年、オーストラリア、マイヤー財団に現代最
も期待される若手音楽家に選定されその支援のもと、
フランクストン響、ビクトリア州立響、メルボルン音楽院
などの常任指揮者、主席客演指揮者などに就任。
シドニーオペラハウスにも出演。
若き日のカラヤンがウルム、アーヘンなどの地方歌劇場
オーケストラで後年のレパートリーを練り上げた如く、
大沢にとって1970年代は英国の伝統を持つ
オーストラリアのオーケストラとの貴重な出会いであった。
1977年から80年代前半にかけてはシンガポール
政府の要請により日本国際交流基金から人物交流事業
として派遣され、シンガポールフィルの初代音楽監督に
就任したことを契機にアジア諸国の活動が中心となり
シンガポールと併せ韓国、台湾やフィリピンなどの
国立交響楽団指揮者を歴任。
1980年後半は日産ドリームコンサート常任指揮者として
新日フィル、東京フィル、大阪フィルほか、国内著名
オーケストラを数多く指揮。
1989年、トルコ-日本修好100周年記念事業の指揮者
としてアンカラ芸術祭に日本国外務省から派遣され出演後、
トルコ四大都市の国立交響楽団を満遍なく指揮。
1995年イズミール響の名誉主席指揮者に就任、
東ヨーロッパの伝統を持つこのオーケストラを
地中海沿岸随一と言われるほどの実力に育て上げ、
2000年来日を果し、吉田正「東京シンフォニー」を
各地で公演。また、1998年同国立チクロヴァ交響楽団の
日本公演も果たし、チャイコフスキー交響曲第5番の
レコーディングも行う。
現在に至るまでトルコ国内でアクティブな地位につき
マーラーを得意とするレパートリーでエーゲ海の聴衆から
熱狂的な支持を得ている。
2003年にはトルコ政府から長年の文化貢献と国際交流に
対する叙勲を受けた。
トルコでの実績が高く評価された結果、2001年
東ヨーロッパ各国のオーケストラから首席奏者を総結集して
新設されたオーケストラの常任指揮者に就任の
要請を受けた。しかし、同時期に幼少の頃から愛着、敬意を
持っていた吉田正の作品を編曲、演奏するために設立された
日本初の本格派ムードオーケストラの育成と国内で広く
芸術文化貢献を果たすべく、吉田正記念オーケストラ
初代終身音楽監督に就任した。
これによって30年間近い海外活動から軸足を
国内に移し終生、日本人指揮者とし初めて歌謡曲の
交響楽化という新分野を確立させ、オーケストラ演奏による
日本情緒の表現という命題に取り組んでいる。
http://www.yoshidatadashi.com/index.html
先生のご紹介でした。
みなさん、今日もワクワクと楽しく生きましょうね。
私はいつでもワクワクと楽しく生きています。
ブログをご覧頂いている皆様のご健康と御多幸を心より祈りつつ。
ありがとうございます。 感謝
追伸、
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