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15/03/06 16:48 / パワースポット

勝負運がある磐田市中泉、府八幡宮です。
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みなさん、こんにちは。

今回のテーマは、勝負運がある磐田市中泉、府八幡宮です。

先月の2月28日に東京・秩父宮ラグビー場で

行われた、試合でヤマハ発動機ジュビロ優勝が

優勝致しました。

ヤマハ発動機ジュビロは、磐田市中泉にある

府八幡宮で、必勝祈願をし、節分祭でも、選手が、

豆まきを致しました経緯があります。

偶然と言えば偶然では、ございますが、私の考えでは

これも意味のある偶然の一致だと私は思います。

昨年度、私のプランで、府八幡宮に、

イヤシロチ(炭素埋設)の施工をしたのも意味のある

施工であり、その施工の延長線で、偶然が、起きたと

思っています。

私は、イヤシロチの、施工の目的として、府八幡宮の

神社開運(神様開運)をすることに目的を持ち、

施工を行いました。

府八幡宮では、施工後、参拝する方が増えたり、

今回のヤマハ発動機ジュビロ優勝が優勝したことも

意味のある偶然とも言えます。

私の考えでは、イヤシロチにしたことで、今迄、以上に

開運パワーのある神社、勝負運に強い神社となりました。

みなさん、開運パワー、勝負運なら、磐田市中泉にある、

府八幡宮に、御参拝すれば、良いことを引き寄せるかも

知れませんよ。

写真は施工の工程です。

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下の写真は、府八幡宮の境内、施工場所の位置です。

番号が、付いている場所に炭素埋設してあります。

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府八幡宮様のご説明です。

府八幡宮の、ご神徳は、勝運・開運・招福・方位除け・

出世開運、武運長久・家運隆昌・災厄消除・悪病災難除け・

学業教育・病気平癒・商売繁盛・会社発展・家内安全・

病気平癒・工事安全・交通安全・安産祈願・心願成就

などの信仰利益も高まります。

また、府八幡宮の、御神祭、

誉田別命 (ほんだわけのみこと、応仁天皇)には、

様々な伝承があります。

まず有名なのは、応神天皇の母君である神宮皇后は、

赤子を身ごもっているときに、三韓征伐にでかけ

圧勝したといわれます。

産気づいたのを我慢し戦いの最中産み落としそうになるのを

股間に石を挟み戦ったと伝えられます、この時生まれたのが

応神天皇です。

その為八幡宮は安産、子育ての神といわれます。

また、日本で初めて方違え(かたたがえ)の

祈祷を行ったのも神宮皇后であると、「國花分明集巻の五」に

記録があります、その為、三月金神、暗剣殺などの

方位による災い除けの神様でもあるわけです。

マイホームを建てる時、地鎮祭を致しますが、この時に、

府八幡宮様の神徳を得てすれば、間違いない、地鎮祭が

出来ると思います。

また、気学では「五黄殺」「暗剣殺」「本命殺」「的殺」

「歳破」とありますが、この厄除けにも、府八幡宮様の

神徳を得てすれば間違いがないと思います。

また、誉田別命様は、百歳まで生きられたとされ長寿の

神でもありますので、慈愛深く、人々を厄事、邪気から

ご守護くださるといわれます。

参考に、

http://www.fu-hachimangu.jp/info/info/about/

府八幡宮は、天平年間(729〜748年)に

遠江国司(現在の知事にあたる)であった天武天皇の

曽孫桜井王(さくらいおう)が、遠江国府の守護として

赴任された時、遠江国内がよく治まるようにと

府内に奉られたのが、始まりです。

遠江国府は、最初に現在の二之宮・御殿地区に

勧請(かんじょう)され、その後、見附地区に

移転されるまでの間、一時、府八幡宮内に

置かれていた、と伝えられています。

寛永12年(1635年)に建立された楼門(ろうもん)は

静岡県の文化財に、中門・本殿・拝殿および 幣殿は

市の文化財に指定されています。

境内の建物の多くは、江戸時代に建造されたものです。

<国 府>こくふ 

国府は、日本の奈良時代から平安時代に、令制国の

国司が政務を執る施設が置かれた場所や都市を指す。

国衙ともいいます。

<国 司>こくし

国司は、古代から中世の日本で地方行政単位である国の

行政官として中央から派遣された官吏で四等官である、

守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)等を

指す。

郡の官吏(郡司)は在地の有力者、いわゆる旧豪族からの

任命だったので、中央からの支配のかなめは国司に

ありました。

国司は国衙において政務に当たり、祭祀・行政・司法・軍事

のすべてを司り、管内では絶大な権限を持っていました。

由緒

奈良時代の聖武天皇(在位724年〜749年)のころ、

「桜井王」という皇子(聖武天皇の曾孫といわれている)

が、遠江国の国司となって国府(国の役所)に

着任しました。

王は、地域全体の平安を願って「府八幡宮」を

建立しました。

国府のあるところの八幡宮であるから、

「国府八幡宮」ともいわれてきましたが、今は

「府八幡宮」が正式名称です。

地元の人たちは、親しさをこめて“八幡さま”あるいは“

中泉の八幡さま”とも呼んでいます

祭神

本殿に祭られている神様(祭神)は、つぎの3柱です。

誉田別命 (ほんだわけのみこと。応仁天皇「主祭神」)

足仲彦命 (たらしなかひこのみこと。仲衷天皇「父親」)

気長足姫命(おきながたらしひめのみこと。「母親」)

本殿

最初に建立されたのは奈良時代ですが、何度も

作り変えられ、現在のものは、

江戸時代初期(元和3年=1617年)に再建されました。

再建をした願主は、2代将軍、徳川秀忠の娘の

和子(まさこ)で、後水尾天皇の皇后となって、

東福門院と呼ばれた方です。

徳川家康の孫娘によって再建されたのは、本社の

神主であった秋鹿(あいか)氏が、家康と並々ならぬ

深い関係があったからです。

桜井王

聖武天皇が命じた国分寺が磐田にできたことと、本社が

隣りあって創建されたことは、創建者の桜井王と

聖武天皇のお二人が遠く離れていても、

深く心がつながっていたことを感じます。

それを物語る贈答歌が「万葉集」巻8-16 14・5に

載っています。

その歌碑が本社の境内南東に建っています。

贈答歌は次の歌です。

遠江守桜井王の天皇に奉れる歌1首

九月(ながつき)のその初雁の使にも思ふ心は

聞こえ来ぬかも

(九月の初雁の使いによって、私のお慕い申し上げる

気持ちは、天皇のお耳に届かないものだろうか)

天皇の賜へる報知(みこたへ)の御歌1首

大の浦のその長浜に寄する波ゆたけき君を思ふこのころ

(大の浦の長々とした海岸に寄せる波のように、

心ゆったりとおおどかな気持ちで、あなたのことを

考えているこのごろです)由緒

以上、府八幡宮(ふはちまんぐう)様のご説明と、

府八幡宮様の神徳と、パワースポットのご説明でした。

ありがとうございます。

[更新日付:2015/03/06 16:48:51]